AIという「二次情報の集合体」を読む時代になってきた

これはよいのか悪いのかわからない。
しかし、AIという一元化された二次情報にアクセスすることが当たり前になってきたことには、少し注意が必要なのかもしれない。
もともとインターネットは自由空間だった
もともとインターネットというのは、いろいろな人がさまざまな媒体から自由に情報を投稿していたように思う。
SNS、Webページ、ブログ……。様々な媒体から自由に投稿できる。
偉い学者も農家も、一緒くたにインターネットで直接会話できるすごい時代である。
目の前のスマホやPCから、直接現地の情報や本物の人から情報を得ることができる。
そして一次情報に直接アクセスできたのである。
しかし最近は、これが少し変わってきたように思う。

AIが台頭して事情が変わってきた
皆、困ったらAIに聞くのである。
AIは主にWeb上の情報を集約し、整理して出力している。
どういうことかというと、インターネット上にちりばめられた一次情報や二次情報を集約し、閲覧者にわかりやすい形で提供しているのである。
言ってみれば、AIは二次情報の集合体のようなものだと思う。
もちろん、それらの情報はAIなりに整理や検証をしているのだろう。
ただ、間違っているかもしれないし、本人が言ったことではないかもしれない。いわゆる伝言ゲームのようなことが起こるので、「言った・言わない」や認識のずれが生じることもある。
AI自身も「これが絶対に正しい」とは言わない。
では、自分の身の回りでどんなことが起きているのか思い出してみようと思う。
身の回りで起きていること
ゼロクリック検索
今話題のゼロクリック検索である。

私も見覚えがある。
最近はGoogle検索をすると、検索結果の上部にある程度答えが表示されてしまう。
そこで満足してしまい、下に表示されている検索結果を見ない。
広告でブログを維持している人はつらいだろうなと思いつつも、便利だから使っている。
もっとも、プログラムコードなら自分で検証できるし、人が言った・言わないについては一次ソースを見ざるを得ない。
やはり使いようなのだろう。
検索すらしない?
検索すらせず、AIに聞くことがある。
AIのデスクトップアプリで聞くのである。
「ググる」という言葉も死語になりつつある。
昔はすぐ人に聞くと「ググれ」と言われる時代があったのに、今は人に聞くことすらせずAIに聞くようである。
もしかしたら、私みたいなコミュ障にとっては天国かもしれないが。
コードは自分で考えない
検索以外にも影響がある。
プログラムコードは自分で考えずにAIに書かせる。
でも、それは自分の実体験から生まれたコードではない。
「あーしました、こーしました。でもだめだったので検証した結果こうしました」というプロセスがないので、実体験ゼロのまま、何が良い点なのか悪い点なのか説明できないコードになってしまう。
もちろん、わかる人にとっては考える手間が省けて便利なのだろうとは思う。
AI画像やAI動画に騙される

SNSでAI画像やAI動画に普通に騙されている人を見かける。
「画像や動画があるのだから証拠だろう」という思い込みで、その画像や動画自体が偽物であることを見抜けなくなっている。
昨今は時代が変わり、AIによる加工が当たり前になった。
私も何度も再生してやっと見抜けるかな、というレベルになってしまった。
そうなると、その画像や動画がどこに掲載されているのかという情報も重要になってくるように思う。
SNSに投稿されているのと、どこかの公式ページに掲載されているのとでは、まったく意味が違う。
まとめ
これはAIが悪いという記事ではない。
私自身も便利に使っている。
ただ、どれだけAIが便利であっても、重要な情報については一次情報に少しはアクセスして確認したほうがよいと思う。
AIは便利な二次情報の集合体だが、その向こう側にある元の情報源までたどる意識は持っておきたい。
AIの答えを入口として使い、必要に応じて元の情報源までたどる。
これからは、そんな使い方がますます大事になるのかもしれない。